自分ひとりだけで。
完結するゲームが好きです。
誰かの都合を考慮しなくとも。
自分だけで進められる気楽さが。
ひたすら、心地よいからかと。
誰かの存在を意識すると、途端に萎えるので。
とは言いつつも。
オセロや人生ゲームのようなボードゲームになると。
途端に話が変わってくるので。
不思議なモノです。
一人で複数の役柄を演じようにも。
自分がそれぞれの立ち位置に移動する主体があくまで自分ひとりであるので。
そのような、無理のあることを。
しない主義、なのかもしれません。
と言いますか、そんな面倒なことをするくらいなら。
1人でできることを楽しんだほうが建設的ですから。
それでも楽しめるようになるとしたら。
そのときは僕が、解離性同一性障害になったとき──なんですかね。
ただ、それなら。
人格の交代のあるときに記憶の引継がないことが常になるので。
僕の知覚する世界が断片的なモノになるんだろうなと。
ホスト人格となれれば別でしょうが──まぁ、有り体に書くと。
『世の中そんなに甘くない』んですよねぇ。
もしかしたら別人格がホスト人格になって、今の人格を抑圧してしまうかもですし。
と言うくらいなら、まだよくて。
邪魔になって殺されてしまうかもしれないわけですから。
……解離性同一性障害かぁ。
なりたいとは思えないですし、なろうと思ってなるモノではないよなぁと思いますよ。
──それにしても。
複数の人格のうち幾つかの人格が殺害(もしくは破壊)された状態で人格の統合があれば。
そのとき、その人ってどうなってしまうんでしょうね。
パーツの足りない状態になるわけじゃないですか──心身に新たな不具合が出るモノでしょうか。
ポッカリと、穴が空いた──そうそう。