公私を区別することが好きです。
当たり前ですね、うん。
だって、自分のことと他者のこと。
それらを区分できないことには、円滑なコミュニケーションなんて。
夢のまた夢ですから。
癒着なんてしようモノなら──そうですね。
そのときは、僕と一緒に。
地獄行きになることくらい、覚悟していただかなくては。
なんて、思うので。
共有したくないことどころか、できそうにないことって。
ソッとしておいてほしいと思いますもん。
私事で特別な成り行きでもない限りは。
それが、僕にとっては当たり前ですし。
皆さんも──あなたも、頷けることかと思うのです。
が、しかし。
しかし、ですよ。
僕、今まで、3つくらいの職場で働いてきましたが。
どこもかしこも──公私混同しすぎていませんかね。
もちろん、僕が片田舎にいるからかもしれませんが。
なぜあれほどまでに──他者に関心を抱き、第三者の感想を共有できるのでしょう。
不思議でなりません。
なぜでしょう──社会とは、別に。
自分とそれ以外があれば、成立すると言うのに。
その〝それ以外〟とは、別に〝誰か(人間)〟である必要もないと言うのに。
……とは言いつつも。
これは社会心理学的の定義に基づいた社会の話なのですが←
え、その定義?
こんな感じです。
社会心理学とは。
『他者が実際に存在したり、想像の中で存在したり、あるいは存在することがほのめかされていることによって、個人の思考、感情、および行動がどのような影響を受けるか、を理解し説明する試み』──ゴードン・オルポート
……おかわりいただけただろうか。
「ご飯大おかわりっ!」……おわかりいただけただろうか?←
アンダーラインから言えることなのですが。
社会心理学の定義からすると、頭の中で存在しているモノや、いるとされているモノについても。
社会心理学の研究対象になる、と言うことなんですね。
なので、自己の研究に於いても対象の範囲内なわけですね。
イマジナリーフレンドもですね。
想像の中で存在しているので。
神の存在についての研究もできますね。
ただし、それは「想像の中で存在している」のではなく。
「あるいは存在することがほのめかされている」と言うことですね。
じゃないと信仰されているかたに袋叩きに遭いそうですし──いや、後者でも充分失礼な気がしますが。
定義に沿った説明にする以上。
身も蓋もない書き方になったこと、ご容赦ください──えっと。
話をかなり戻したいのですが。
この文章を引用しておきながら言及しないのがもったいないことがあるので。
少し、補足を。
このオルポートの社会心理学の定義には。
いっさい〝社会〟と言う言葉が出てこないのです。
〝In psychology, social psychology is the scientific study of how people‘s thoughts, feelings, and behaviors are influenced be the actual, imagined, or implied presence of others.〟が、原文なので。
……ソースですか?
貼っておきますね、序盤の文章です。
Social Psychology | SpringerLink
引用文であればまぁ。
問題はないでしょう。
と言うか、僕も驚きました。
だってさっき、初めて原文を読みましたもん←
本当に〝social〟とか〝society〟って入っていないんですね。
半信半疑だったのですが、えぇ←
──ありませんか?
日本人ではないかたの名言が日本語で書かれていると、信じていいのかどうか分からないときって←
僕には、よくありますね。
なので、学術用語に英訳が載っていたりすると非常に助かるのです。
自ずと、検討し易くなりますから。
こちらでソースを探すときにも、一役買いますしおすし←
閑話休題!!
……ふぅ。
ひと口に〝社会〟って言いますが。
割と、どの〝社会〟を差すかとか。
その〝社会〟の定義はなんぞやとか。
そう言うのが曖昧なまま、話をすることができてしまうんですよね。
そう言うのって人が会話するたびに衝突しない所以なのかも、しれないですね。
それがよくもあり。
悪くもあると思うのですが。
気にしすぎるだけ毒なのかもしれません。
〝世間〟とはなんぞや、それは〝あなた〟ではないのかって僕も思いますよ。
さぁ、れっつ入水自s
くぁwせdrftgyふじこlp←
死んじまってねぇぞバカヤロウ←
まぁ、1ミリも読んでないし観てないわけですが()
僕の場合には、曖昧模糊なモノの話をするとなると。
どうしても、相手の定義するところを知りたくなるタイプなんですよね。
齟齬を生じさせたくないですし。
空気を読んで話をするのも億劫なので。
だって、察し合いなんて。
殺し合いと何が、違うのでしょう。
息の殺し合い。
個性の殺し合い──場によっては。
人格の殺し合い。
あぁ、やっぱり。
公私って、分けていくべきモノですよね。
公と私は相互関係であるのが望ましいですが。
癒着してしまえば、それは。
相互ではなくそのモノになってしまうのですから。
果たして、〝社会〟と言ってもいい代物なのでしょうか──僕は、したくないのですが。
……さて、私のわたしが許したとしても。
公のわたしは果たして許すだろうかね──あはは、めんどーい←
それとも考えるのを放棄して。
一緒に地獄に堕ちますかね?
人を呪わば穴二つ。
いっぺん、死んでみる?(cv.能登麻美子)←←←