精神失調は突然起こることが多く。
体調にモロに影響を与えることがありまして。
さっきまで元気にしていたのに。
急に萎れて顔色が悪くなり歩行スピードも落ち。
猫背になり頭を垂れて。
ダラダラと汗を掻き始める、なんてことも。
予兆があればいいのですが。
実際にはそんなありがたいモノが来ないことも多いので。
自分で何とかできる範囲で何とかし。
それで何ともならなければ他者か医療機関を頼る他ないわけですが。
さてと、本題に入りましょうか。
僕も、そのクチなので←
精神的に参ったときに。
なんとかしようとはするのです。
その際によく、やるのは。
態とその状態に浸る、と言うことなのです。
苦しみは自身が呼んでいるのではなく。
苦しみが自身を呼んでいる、なんて考えるのです。
どう言うことかと言いますと。
苦しみは自身の中に起こったことではなく。
自身の外で起こったことだと、考えるのですよ。
そうでないと、苦しみをどうにもできないからです。
そして、その苦しみの中に。
思い切って、近付いていくのですよ。
つまり、その苦しみとは具体的に何か。
それについてどう感じ、それよりも最悪なことがないか、回避できるモノか、できないなら近付かない方法はないか……などなど。
どんどん、苦しみを具体的にしていきます。
すると──なぜか、なんとかなるような気がしてくるのです。
『あ、こんなモノか』って。
何も思い浮かばなくても、対処しようと立ち向かえたと言うだけでも心持ちが変わってきます。
RPGでセーブしないこと前提で強そうなキャラと戦ってみて。
やられたらリセットして立て直すことをしたことのあるかたは、いらっしゃるでしょうか。
ちょうど、そんな感じです。
これは、ゲームの内容が現実で起こらないことを前提にした仮想だからこそ成立する技法ですよね。
本当に起こっていたら。
やられた瞬間に、人生終了ですから。
これと、同じことを。
精神的に突然参ったら、やってみるのです。
僕は、そうやって。
時折訪れる苦しみや虚無に立ち向かい──なんとかここ10年余り、突如、医療機関にお世話になることなく生きています。
もしよろしければ、皆さんも──あなたも、お試しあれ。
精神的なサバイバーではなくとも、いいシミュレーションにはなると思いますよ。
今流行りの言葉で言えば。
レジリエンスを鍛えるひとつの方法、とでも言ったところでしょうか。
──えぇ、大事なことだと思います。
自身の辛みや苦しみは自分の外部で起こっていることと認識することって。
無論、他人のせいにするのは違います。
自身の問題は他で解決するのではなく、自身で解決するのが正しいので。
例えるならば、漢字の書取り問題が分からないからと。
次の時間割で出るだろう日本史の範囲の答えを書いたところで、なんの意味もないのと同様に←
点数にならないじゃないですか、そんなの。
適切な答案に書くべきなので──だって、おかしいじゃないですか。
『ワダチ』を漢字で書かなければならないところで。
なぜ【蛤御門の変】と書くのでしょう。
ワダチを歩く。
→蛤御門の変を歩く。
……なんて。
どこぞの時間遡行者ですか←
只者ではありません。
その名称の出来事を歩くなんて。
概念のようなモノじゃないですか、それって。
蛤御門の前を歩くのとは訳が違う──すみません、脱線しました←
とにもかくにも。
問題は適切な時と場合と場所で、解決しないとですから。
……えっと、ところで。
日本史の幕末っていつ習うモノなんです?──高校進級したことないのでよく分からないんすよ←
──こほんっ
と言う風に。
こうやって、ブログに書き連ねるのも。
精神衛生上、とってもいいんですよねぇ〜
あー
スッキリした!終わりっ!