『公正世界仮説』と言うのがあります。
どう言うのかと言うと。
この研究の魁となった。
メルビン・ラーナーによれば。
人は一般に「この世の中はそれぞれがその人にふさわしい結果を受けることができる公正な世界である」と信じている
──と、言うモノで。
例えば、そうですね。
Aと言う人が、Bと言う人に散々(程度はご想像にお任せします)痛めつけられ。
殺されたとしましょうか。
そのうち、Bは逮捕されて。
ワイドショーにて、実は悲惨な家庭環境(これもご想像にお任せします)に置かれていたとしましょうか。
そのとき、あなたはこのBに対して。
どのような感情を抱くでしょうか。
色々と憶測めいたことを考えつつも。
それはそうとしてやったことはマズいことだからなぁと、思うかもしれません。
若しくは──問答無用、と。
『「話せば分かる」とか抜かす奴は撃ち殺してやる』と思うような無慈悲なかたもいらっしゃるかもしれませんね、いいですよすごく。
以前の僕であれば、そんなこと考えませんでしたが。
いやですねぇ──社会人と言うのは、どうにも。
なんて。
じゃあ、もう一つ追加しましょう。
Bが直前に。
実を言うとAがBの元々の家族をめちゃくちゃにしバラバラにした張本人であることが分かり、今まさに別の人をターゲットにしようとしている姿を目撃してしまったとしたら。
その激情に苛まれ。
復讐心に火が点き我を忘れたBが血濡れたAを呆然と眺め立ち尽くし。
自身がしでかした過ちを悔い。
泣きながら警察に出頭した、と言うことまで知ったあなたは。
このBについて。
その事実を知らなかったときと比べ、どのような感情を抱くでしょうか。
そして、Aについて。
どのような感情を、抱くでしょうか。
……なんて、話を盛りまくってしまいましたが。
僕はここまで知ってしまっても『問答無用』と思える自信はないですね。
それはそれ、これはこれだから。
刑法に規定されている通りに罪を償うしかないとは、思いますが。
そして、Aについては。
そんな輩だったならBに殺されるのは因果応報だった──と、思いかねません。
そう、因果応報。
これこそが、世界公正仮説の本質を突いた四字熟語であり。
この四字熟語が、万能ではないことを示しています。
だって──世界公正仮説の別名って。
〝公正世界誤謬〟ですから。
誤謬──つまり、間違っていること、と言うことですね。
だって、Aは別に。
Bの家族をめちゃくちゃにしたからと言って、自身が物理的にめちゃくちゃになることに。
因果関係って、ないですもの。
Bについても同じことです──家族をめちゃくちゃにした張本人が誰かをターゲットにしようとしていたとしても。
当時、自分がされたようにAを物理的にめちゃくちゃにする謂れはなく。
殺すことが行きすぎた行動であったことは──間違いのないことです。
そして、仮にAがターゲットを毒牙にかけようと。
Bがシカトしたところで──Bが同じように誰かにシカトされることも、同じように誰かに毒牙にかけられる所以にもならないのですよ。
──それはおかしいと、思いますか?
なぜでしょう?──あぁ、人としておかしいってことですか?
そう、それこそ。
認知バイアス──つまり歪みであり、偏見なのですよ。
だからこそ、です。
『バイアス』とか『偏見』って言葉をあんまり。
悪いように、考えないでみてください。
凸凹があれば均したくなるなんて──人間らしい営み、僕はいいモノだと思いますから。
ある程度は、必要なモノだと考えていますよ僕は。
じゃないと、壊れちゃいますから。
物理的な損壊については物理的に治せることが多いですが。
精神的な損壊については──困難を、窮めますから。
もし、あなたが人間でいることに違和感を抱いていないのであれば。
どうか、この『公正世界仮説』のこと──忘れないで、くださいね。
……え、人間でいることに違和感を抱いている人?
別にそれでもいいと思いますけどね、僕は。
なんでかって?
んー……書くの野暮ったいから書かない、べーだっ←←←