本に囲まれながら。
うとうととする日々を送り。
いつの間にか眠っていて。
起きているか否かの区別も付かぬ儘の状態を漂っていけば。
生きているか死んでいるかの境界が。
日に日に希薄になっていって。
自身が生きているのか。
それとも死んでいるのかすら。
分からなくなっていく──どころか。
どうでもよくなっていくのだとすれば。
僕は、そんな生き方と。
死に方をしたいと、思うわけですが。
なんの話かと言いますと。
『胡蝶の夢』と言うのは最高じゃないか、と言うことなのですね。
その境地には、如何様に達するのでしょうか。
意識が融けて朦朧としているときでしょうか──であれば。
そこに一切の苦痛はないのでしょうから。
やはり、苦痛を取り除くことができればその境地に達しやすいと言うことなので。
成程、悩ましいモノです。
痛みとは生きる上で必要不可欠と言うのに、『胡蝶の夢』の境地に達するには除かねばならないと言うのですから。
それとも、もともと僕自身が。
無痛症でなかったことに、感謝すべきでしょうか。
あぁ、五体満足で産んでくれてありがとう──と。
おかげで僕は──安らかになる権利を得ることが、できたのですから。
……
……………………と言うので投稿してしまえば綺麗だったと思うのですが。
あまり現実味のないモノを書いてしまうと心配されそうでもあるので。
僕に現実検討力が存在していることを書き記し、〆るといたしましょう←
……え、出鱈目だったのかって?
まさか──痛みが癒えるときの享楽をご存知でしょう?──そう言うことですよ、あはは。