小さな頃から。
『大人にはなりたくないな』と思って生きてきました。
よければ子どものままでいられればそれに越したことはなく。
あわよくば大人になる前に都合よく昇天しないモノだろうかと。
常日頃、思っていたのですが。
最近、思うことがなくなったんですよね──えぇ、それを改めて考えると。
わたしの、「大人になったな」と感じないこと……と言えなくもないことなのですが。
皆さんは──あなたは、いかがでしょうか。
大人になったなと、感じるときは。
どんなときでしょうか。
そして、大人に対して。
どのようなイメージを、お持ちでしょうか。
──わたし、ですか?
特に、何も。
ただ──子どもが身体的に成熟するだけで大人と見做されるなんて。
これほど低コストで雑な指標を通して行われる野蛮なんてあるだろうか、と思うだけで。
──えぇ、いまさっき。
『大人にはなりたくないな』と改めて思いました。
今後もこの考え方は変わらないでしょう。
──例え、身体的に成熟していようとも。
この心は、わたしのモノですから。
この魂も──わたしのモノ、ですから。
大人は大人で、楽しければそれでいいでしょうし。
それならわたしはわたしで──そのままでもよろしいのでは、と。
お酒が飲めます。
民法において、親の同意もなく結婚できる年齢です。
だから──大人なのか、と思うと。
わたしはただただ、こう……視界に靄がかかったようで、煮え切らないのですよ。
望んだわけでもなく、見做されると言うのは。
どうにも──面倒だな、と。
もちろんこれは、人間の柵から考えたことについての話で。
法的な問題については置いておいているのですが。
だって、大人であっても子どもであっても。
法を守るのは、当然のことですから。
知ってる者が守られるのではなく。
知ってる者が守るために存在するモノであるので。
それを形作っていくことも、また。
当然である、と──それは、否定しないです。
つまり、何かと言うと。
主体があっての客体であるわけなので。
わたしの意思に関係なく身体が成熟したから【大人】とするなんて。
重複することですが──受け付けないなって、話なのですよ。
もし、万が一。
わたしが大人になりたいと思うことがあれば。
そのとき、初めて。
わたしは大人になることを〝選ぶ〟んだと思うのです。
──ですが、今はその時期ではないです。
わたしはこのままの状態でありたいので。
『大人になりたくないな』と思っている状態が変わらないわけですから。
このまま──大人にならない状態を〝選ぶ〟ことにします。
こんな生き方も、別にいいと思いますよ。
形式に縛られるなんて──もったいないですもん。
今週のお題「大人になったなと感じるとき」