とある話を思い出しました。
留学生を受け入れたホストファミリーの話です。
留学生を歓迎したのち。
これから寝泊まりする場所へ案内しようとすると。
留学生は言うのです。
「そこにプライバシーはありますか」と。
ホストファミリーは嬉々として言います。
「あるよ」と。
留学生は安心した様子で案内された部屋の前に立ち。
ドアを検めて言うのです──鍵がないじゃないですか──と。
──もちろん、これは日本での話です。
留学生は気が気でなかったでしょう──物理的に守られた空間に滞在できないと、思ってしまうと。
海外では、古来から侵攻勢力に常に晒されている国が多々あり。
城壁で囲ったり、柵で内が見えないようにしたりと──内と外とをくっきりさせている傾向にありますが。
日本では、そもそも建物の内と外がくっきりと分かれるように作られてはおらず。
傍から見ればどこから私有地でどこからが公有地なのか分かりにくい所も多々あります。
ただし、それは日本人から見てその内と外の区別が明確にできているからであり。
「近道だから」と私有地を濫りに経由することも、言ってみれば少ないわけで。
それが、部屋のドアに大抵鍵がないことと。
関係するのだろうと──大昔に読んだ評論を思い出すと、そんなトコだろうと思いますけども。
よく、思いますね。
他者と暮らしていると、鍵が欲しいと。
もちろん、僕は内と外とを区別できてはいるのですが。
物理的に侵害されない空間が欲しいと思うことも、なくはないのですよ。
自身の精神と。
自身の存在する空間。
その2つに、鍵が欲しい。
そう思うのはやはり──上記の話からすると、やや日本人らしくないんですよね。
なんでしょう、西洋文化を被りすぎたでしょうか。
こちとら、パン食ではなくずっと米食なのですが←
……とか言いつつも。
確か稲って元来、中国の雲南省が原産でしたよね。
あと、遺伝子検査をすれば様々な国の血筋が混ざっていることからも。
純血の○○人なんてまず存在しないですから。
日本人らしさ、と言うのもまた。
実は曖昧なモノなのかもしれません。
……え、僕?
民族主義者ではないので、なんとも←←←