いくつか見かけましたので。
軽く、浚っておきましょう。
まず、HSPから。
略さず書くと。
〝Highly Sensitive Person〟ってトコでしょうか。
直訳すると。
『とても敏感な人』ってことで。
要するに、感受性の高い人。
と言いますか──高すぎる人を、指します。
一方、サイコパスは。
〝Psychopath〟と書きます。
略でもなく、単なる英単語ですね。
あと、間違っても〝Psychopass〟とは書きません←
犯罪係数300overだと木っ端微塵になるあの世界ではないのです。
なんであのスペルなのかって?──第1作目担当の虚淵さんにでも訊いてください←
で、なのですが。
サイコパスは簡単に言うと。
と言いますか、犯罪学者としては有名人と言っても過言ではない。
ロバート・ヘアの定義に拠れば。
──良心が異常に欠如している。他者に冷淡で共感しない。漫然的に平然と嘘を吐く。
なんてことらしいです。
なんかこれだけ読めばヤバすぎる人にしか思えないのですが。
実際、サイコパスの中にも。
緩めのサイコパスと、ガチめのサイコパスと言うのが存在しておりまして。
実際としては少ない(らしい)と言うのが。
実際に自分自身がサイコパスと同じ脳の動きをしていたと気付いた。
ジェームス・ファロン曰く、とのこと。
あぁ、彼の書いた『サイコパス・インサイド』は是非読んでみてください。
贔屓目に言って最高でした──訳がまどろっこしい感じがしつつ、それもクセになります←
で、この2つですけども。
実際、全く異なって見えますね。
感受性の高すぎる人と。
良心が異常に欠如していて他者に共感しないなんて──真反対じゃねぇか、と。
皆さんは──あなたは。
どう感じますか?
全くの別物と感じるでしょうか?
それとも──そうではないように、感じるでしょうか?
僕はこの2つ。
それほど違うようには、感じないのです。
あり得るんじゃないでしょうか。
HSPはつまり、感覚が鋭すぎる人ですね。
それでいっぱいいっぱいになってしまう人です(敢えてざっくり書いていますが、ご了承ください)←
そして、サイコパスはどうかと言うと。
感覚が鋭かろうが鈍かろうが──響かない(もしくは響かせない)ようにできてしまう人です。
じゃあ、HSPは感覚が鋭すぎるゆえに。
響かせないようにできないかと言われれば──それは、違うわけですね。
そのための、認知行動療法であり。
マインドフルネス療法と言っても、いいでしょう。
共通部分が存在するわけで。
真反対の存在ではない、と言うことになるかと考えるのですが。
実際、どうなんでしょうねぇ。
僕は上記の通り。
時間が迫ってきているのでやっつけ仕事でぱぱぱっと書きましたが。
感覚的に、そんな両方の性質を保持している人もいるだろうと。
感じるのです──なんでかって言語化すると、上の通りですが。
言うなれば──防音室のようなイメージです。
外では響く(HSP的)のに。
中では響かない(サイコパス的)、と言うような。
ただ、よくある防音室と違うのは。
防音室の意思によって中で響くようにも響かないようにもできてしまう、と言うことで。
……え、サイコパスは完全な防音室なんじゃないかって?
それが、サイコパスの場合は。
共感はできなくても。
同感はできるのですよ。
なので、相手が悲しんでいることについて。
じわじわとこちらまで悲しくなってくる、なんてことはないのですが。
相手が悲しんでいることについて。
じわじわとこちらから悲しくなっていく、そんなこと自体はできるのですよ。
なので、サイコパスに感情がないのだとするのは些か早計で。
実のところ、自身の感情を能動的に弄ることが可能な人、と言うところでしょうか。
じゃあ、HSPはと言いますと。
訓練次第で相手の言うことなすことや、五感への過度な刺激に対処することが可能なわけですね。
サイコパスは、その訓練をせずとも。
最初から五感への過度な刺激に対処することが可能な存在なので。
じゃあ、この両者とは真反対の存在か。
なんて話に戻ってくるわけなのですけども。
僕は、否と、考えるわけです。
だって、共通部分があるんですもの。
そして、その共通部分から互いを観測したときに。
しっかりと対称な見え方をするかと言われれば──そうでもないので。
やっぱり、真反対とは違うなぁと。
恐らく、距離的に中間に位置するところで折り畳んでも殆ど一致しないでしょう。
……なんて。
急にどうしたと、思われそうですが。
まぁ、こんな日もあります。
あぁ、早く投稿して準備しないとっ