koihaouka’s blog

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

自身の信念に基づき思考し行動せよ

常々、疑問なことがあります。

この世に於いて、許すことについては推奨されているのに。

 

なぜ、許さないことについては。

推奨されていないのでしょうか、と。

 

許そうが許すまいが。

死ぬまで付き合う羽目に陥るかたも残念ながら存在しますし。

 

その人のことを許すことで。

同様の人が現れたら許せるかと言われれば、また別問題です。

 

なぜなら、その人について許したことと。

同様の人が行ったことについての事象とは、独立しているからです。

 

しかも、「許すことで人は強くなる」と言われます。

本当でしょうか──許さないことにエネルギーを費やすくらいならと許す、と言うのは。

 

単に、今まで埋まっていた部分の容量が空いたと言うだけのことで。

その後に適切に埋めることができなければ、なんの意味もないのではないのでしょうか。

 

では、許すことを進言したかたが。

実際にアフターケアまでもするかと言えば。

 

どうでしょう──そんなかた、どれだけいらっしゃることでしょう。

許すことだけを推奨し、その後はあくまで自己責任──と、する人が多いのでは。

 

少なくとも、僕の所感では。

そんな人ばかりでした──許すことを、推奨するかたは。

 

許さないことについては許さないにも拘らず。

なぜ許すことについてだけ寛容かと言えば──それは。

 

ハッピーエンドを望み。

それ以外を受け止められないから──と、僕は考えるのです。

 

しかも、そのハッピーエンドとは。

許すことを推奨する側が考えるハッピーエンド以外は受け付けないと言う、曰く付きです。

 

許さないことでのハッピーエンドもあるにも拘らず。

許すことに於いての1部のハッピーエンドしか、考えないのですよ。

 

なので、いい区切りと看做したところでピリオドを打ち。

その後に何かあっても──こう言うのです。

 

それは解決した話だ、と。

なんて自分勝手なことでしょうか。

 

──と、僕は思うわけです。

因みに、僕はどうかと言いますと。

 

その人が許そうが許すまいが。

どちらでもいいと、思っています。

 

そのかたがよかれと思うことを。

自由にしたらいいじゃないかと、思うわけです。

 

だって──僕は。

他者の物語を自分のモノにしようなんて考え──ゾッとしますもん。