常々、疑問なことがあります。
この世に於いて、許すことについては推奨されているのに。
なぜ、許さないことについては。
推奨されていないのでしょうか、と。
許そうが許すまいが。
死ぬまで付き合う羽目に陥るかたも残念ながら存在しますし。
その人のことを許すことで。
同様の人が現れたら許せるかと言われれば、また別問題です。
なぜなら、その人について許したことと。
同様の人が行ったことについての事象とは、独立しているからです。
しかも、「許すことで人は強くなる」と言われます。
本当でしょうか──許さないことにエネルギーを費やすくらいならと許す、と言うのは。
単に、今まで埋まっていた部分の容量が空いたと言うだけのことで。
その後に適切に埋めることができなければ、なんの意味もないのではないのでしょうか。
では、許すことを進言したかたが。
実際にアフターケアまでもするかと言えば。
どうでしょう──そんなかた、どれだけいらっしゃることでしょう。
許すことだけを推奨し、その後はあくまで自己責任──と、する人が多いのでは。
少なくとも、僕の所感では。
そんな人ばかりでした──許すことを、推奨するかたは。
許さないことについては許さないにも拘らず。
なぜ許すことについてだけ寛容かと言えば──それは。
ハッピーエンドを望み。
それ以外を受け止められないから──と、僕は考えるのです。
しかも、そのハッピーエンドとは。
許すことを推奨する側が考えるハッピーエンド以外は受け付けないと言う、曰く付きです。
許さないことでのハッピーエンドもあるにも拘らず。
許すことに於いての1部のハッピーエンドしか、考えないのですよ。
なので、いい区切りと看做したところでピリオドを打ち。
その後に何かあっても──こう言うのです。
それは解決した話だ、と。
なんて自分勝手なことでしょうか。
──と、僕は思うわけです。
因みに、僕はどうかと言いますと。
その人が許そうが許すまいが。
どちらでもいいと、思っています。
そのかたがよかれと思うことを。
自由にしたらいいじゃないかと、思うわけです。
だって──僕は。
他者の物語を自分のモノにしようなんて考え──ゾッとしますもん。