koihaouka’s blog

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

卒文

◯◯から卒業する、なんて。

よく聞きます。

 

学校からの卒業。

糖分からの卒業。

 

アルコールからの卒業。

カフェインからの卒業。

 

この支配からの卒業。

とかとか。

 

ここでは、ひとつの区切りなんて意味で。

お話しようかと思いますが。

 

その点で最近──何かを卒業したなぁと言えば。

恐らく──自己啓発本からの卒業かなと。

 

昔々、大量に読んでいたんです。

手当たり次第に。

 

参考にできることがあれば、と。

興味の一端を担ってくれれば、と。

 

そして、粗方読んでみて。

少しは興味の幅を広げられたなぁと思えてきたら。

 

もう、読まなくていいかなと。

ふと、思うようになってきたんですよね。

 

なので、最近は。

自己啓発本を、めっきり読まなくなったのです。

 

殆ど、電子書籍として。

ダウンロード済のデータは、残してはあるのですが。

 

月イチで、なんて書いていたか気になって読み返したり。

暇を持て余し福利厚生の一環として取り寄せて読んだり。

 

なんて、それくらいの頻度でしか。

読まなくなりましたね。

 

──なので、卒業したと。

少なくとも、毎日通わなければならないほど切羽詰まった思いで読むことはなくなったかなと。

 

読む必要が、なくなってきたのです。

──そう、精神安定剤的意味合いでは←

 

よく、薬漬けにならなかったなと。

依存せずに済んだなと、思うこともあるのですが。

 

思えば僕。

あんまりそう言う類のモノに依存しないんですよ。

 

期待をすることがまずないので。

正確に言えば──期待をしないことでモノに依存する可能性を排除している、と言いましょうか。

 

まぁ、身も蓋もないことを言うと。

飽き易くなるようにしている、と言ったところです。

 

これはこれで、新しい刺激を求め続ける羽目に陥るため。

少々やりにくいところもあるのですが。

 

物事にハマればハマるほど。

気持ち悪くなる性分を持っているため──新奇性の高い物事を追っているほうが精神衛生上、ね←

 

 ──閑話休題

自己啓発本からの卒業についての話。

 

今や、それほど読まなくなった自己啓発本ですが。

別に、このジャンルが嫌いになったと言うことではありませんし。

 

悪しき物と思っているわけでもないんですよ。

ただ、適当な距離感を掴めるようになってきたと言うだけのことなのです。

なので。

自己啓発本を読むことが時間の無駄かのように言うかたがいて。

 

それはそれで、いいのですが。

それが他の人でも同じだと混同するかたについては。

 

少々、お門違いを起こしているのではないだろうかと。

思わざるを得ないわけです。

 

自身でこう思った、と言った事象が。

そっくりそのまま誰かにも当てはまるなんてこと。

 

まず、ないと言いますのに。

因果どころか相関ですらないじゃないですか、そう言うのって。

 

──なので。

自己啓発本、気になるかたは手に取るといいと思うのです。

 

そして、いらなくなったら手放せばいいし。

必要と思えるなら、そのまま読み続けるといいのだと思うのです。

 

そもそも、本って。

誰かからの評判や風評の類で好き嫌いを決めるモノでも、ないですからねぇ。

 

──あぁ、それは。

本に限らず、ですが──はてはて。

 

僕はずっと、この件について。

この先も勘違いせずに、生きていけるモノでしょうか。

 

少々、気になるところです。

将来の僕がそこまでいちおう正気だと、いいのですが←