漸く、8月も。
残すところ、11日ですか。
やはり、時間の経過が早くなる。
なんてことは起こらず。
いつもの如く、ゆったりと。
流れていくのみなので。
歳を取れば取るほど時間の経過が早く感じる。
なんて、言うならば。
はよ、はよ……と。
思うのですけども。
来ないですね。
一生来ないんじゃなかろうか←
……てな風に。
ぼーっと、生きていたところ。
ふと、思ったのです。
僕はあと何日、生きるんだろうと。
過去に、自身の死期を占って。
その通りに自殺した数学者が、いましたが。
こう言うとき、開きたくなってしまうモノなんでしょうか。
パンドラの箱と言うモノを。
……目の前に、あったとして。
んー……………………………………………………それはないですね、考えてみましたが。
えっと、僕は。
物事に期待することをしないのです。
なので、開いたら未来を知ることのできる箱があったところで。
何があるだろうって思って開こうとは思えないのですよ。
寧ろ、開いたときのリスクがチラつきます。
未来が測定され、定まってしまうことについてのリスクですね。
ほら、だって。
共産主義が衰退したのって──端的に言えば、生産性があらかた決まってしまったからですよね。
齟齬が生じないように。
統制されて、です。
あらかた決められ、それ以外のことには制裁を加え。
表情でさえも似たようなモノを各々形成していき──そして。
次々と共産主義国家が崩壊し。
自由主義の象徴とも言える某ファーストフード店が参入すると。
各々が、別々の顔を形成していったんですよね。
違う種類の花が一斉に咲くように──笑顔を作って。
……と、言うことがあったのを知っていながら。
まぁ、未来を知ろうとは思えないんですよね。
つまり、そう言うことです。
ぼんやりと、自分がどれだけ生きられるのかについて気になることはあれども。
答えを知りたいかと言われれば。
その限りではないのですよ。
自ずと、その日はやってくるわけですし。
占ってその通りに死のうとも思わないのです。
──それに、死のうとするときは。
そのときには計画なんてしてもしなくても──嘘のように、やってくるでしょうから。
訪れないことを、祈るばかりですし。
僕自身、選ばないようにはしているのですけども。
一生のうち、そう言った出目が全く出ないなんてことがあるかと言われれば。
そうとは断言できないのです──なぜか。
僕にはこの選択肢が、あるからです。
死ぬ、と言う──限りなく選ばないよう調節はできますが。
これは、理性があってできることなのです。
そして──理性がないと調節できない人間にとって。
「死ぬ、と言う選択肢を決して選ばない」と言うのは。
非常に難しいことなのですよ──そもそも。
まだ生きられるのに死ぬ、と言う選択なんて。
理性なくしてその気になるか──よほど理性に支配された状態でなければ不可能かと思うのです。
前者であれば、確率的に選択すれば死にますし。
後者であれば、理性で死なないことを選択しているのと同様に死ぬことを選ぶリスクを相応に背負うことになるでしょう。
──そうそう。
死ぬことについて、期待をすればですが。
期待をしないことで、延命をしているところも。
実は、往々にしてあるのですよ。
とは言いましても。
期待するか否かの内的な事象なんて──僕の心持ちで、変わってしまうモノでしょうけども。
そんな不確かな世界に。
僕は生きていますし、同時にその自覚を持っています。
なので、期待をしない限りは。
僕はなかなか、死なないし──死ぬことができないんだろうなぁと、思うのです。
えぇ、できればこのまま。
自然と朽ちていけるといいのですが──おっと、これは期待してますね。
──未来は暗い。
お先真っ暗な道が続いているだけ、それだけなのです。