世に出ることのメリットと言えば。
自身のみでは広げられない世界を経験することができる、と言うことなので。
インターネットが普及した今。
〝世に出て〟働く、と言う大義名分は。
どうも、前時代的かと思うのです。
それを言えば言うほど、若人は冷めるんじゃなかろうかと。
別に、やりたいようにやればいいのですから。
自己責任に基づいた共存を提案することのほうが。
若人には響くんじゃなかろうかと。
思わないでもないのです。
……あぁ、やりたいことがないと言う若人もいますか。
そんなときに「見つけに行こう」とか「一緒に探そう」とか言っても。
『分かりましたっ!』となるわけもなく。
そうなるくらいなら最初からそうなっていないわけで。
彼らの自由意志に基づいては。
そっと背中を押すか見守るかしか、方法はないんですよね。
とは言いましても。
我々と付き合う羽目になった以上は──彼らだけに舵を取らせるのもおかしな話ですので。
そのときは、そのときで。
強権発動だって、必要なときは必要っと。
えぇ──同じ時間を共にしている以上は。
彼らが頽れても、こちらが頽れても──私たちが全ての責任を取ることができるかと言われれば。
はい、なんて。
そんな無責任なこと、言えないと思いますから。
──人と関われば関わるほど。
自分のみで責任を取ることが難しくなっていくんですよね。
それがその人を守ることになる、とまで説いてしまうと。
若人はドン退くと思いますし。
そこまでやる義理もないと言うモノですよね。
なので──僕は、見ているだけです。
たまに、行く先を照らすだけなのです。
選択権を奪ったりなんて、しないのです。
それが、僕のやり方です。
さぁ──『きみは、何を選ぶのかな』──と。