koihaouka’s blog

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

なにをどうやってみる

皆さんは、人を評価する必要に駆られたとき。

その人のどこに、着目するでしょうか。

 

相手の表情でしょうか。

言い回しでしょうか。

 

身体全体でしょうか。

それとも──こちらと向かい合っていないとき、でしょうか。

 

わたしの場合には──いや、野暮ですよね。

えぇ、そう言うことです。

 

警戒しているときや、誰かから注意を向けられているときに。

果たして、素の相手を観察することができるでしょうか。

 

条件はできるだけシンプルに。

観測者の干渉を受けない状態が、望ましいでしょう。

 

もちろん、評価の条件に。

「こちらを意識している状態で相手はどうするか」と言うモノがあれば別ですけども。

 

それなら、常々見ておりますからね。

吟味しているか否かは別にして──です。

 

と、言うわけで。

相手がこちらに意識を向けていないとき──つまり。

 

相手がこちらに対して無防備なときに。

わたしは、じぃーっと、観察するわけです。

 

もちろん、常に全体にアンテナを張り巡らせているような。

なんともわたしみたいな人間もいるっちゃあいるのですが──そのときはそのときで。

 

で、観察しているときには考察を一旦控えます。

そんなのは持ち帰ってやるべきだと思うのです。

 

なぜなら──観察の邪魔になるからです。

自然と考えるくらいであればいいのですが──意識してするのは、文字通り。

 

考えモノだと、思うのです。

観測者は観測に集中していればいいのです。

 

そして、諸々を採集したのち。

持ち帰って、検討するわけです。

 

……え、最終的に?

その人の情報として、ストックしています。

 

全てを観察できたわけではないですから。

誤った判断を下す羽目に陥ってしまいます。

 

なので、何度か観察しておくのです。

じぃーっと……観られているなんて自覚を与えないように。

 

そこは観た。

あの場面でも同じ行動を?

 

じゃあ、このときは。

ではでは、別の側面を拝見……と言う、具合に。

 

そうして、分かってきてしまった辺りで。

一旦、観察をやめてしまうときがあります。

 

わたしも一応、人間として生きておりますから。

歪みくらいは、あるのです。

 

なので、置いておいて。

たまにゴロゴロ転がして。

 

丸みを帯びてきた辺りで。

また、観察を再開するのです。

 

すると、どうでしょう。

同じ見え方をしないときがあります。

 

そう言うときには、前のデータを棄却する……なんてことは稀で。

以前のについては保存したまま、新規のデータとして採取するのです。

 

で、検討して。

弾くことができそうなら弾いて──弾くべきではないときには、そのままにします。

 

そして、確認するのです。

つまり、観測対象と──接触します。

 

あとは、結論を出すだけです。

正しいか否かを。

 

このようにして、その人と付き合い続けるべきか。

付き合わないべきかを、決めるのです。

 

排除はしません。

相手が排除するのを、待つことが常です。

 

だって、そのほうが。

相思相愛っぽくて、よくないですか?──えぇ、面倒なだけです、ハイ←

 

……え、実際どんな評価を下しているか?

そんなの部外秘ですよ、あはは←

 

──で、皆さんは。

あなたは──評価するとき、どんなトコに着目しますか。