観た夢について検討していると。
教科書的に解釈することがどれだけ見当違いかが。
はっきり、してくることが多いです。
例えば、ですが。
夢の中で、『両目を閉じてください』と言う看板を見たとします。
これには、「安らかに眠ってください」と言う意味がある、なんて書かれていることが多いです。
じゃあ、誰かが夢の話をした際に。
『両目を閉じてください』と言う看板を見たと、言ったとします。
さて、そのかたは。
誰か、若しくは自身に対して「安らかに眠ってほしい」と思っていると、考えてもいいモノでしょうか。
……違うのは、明白です。
少なくとも、断定してよいモノではないですね。
違っていれば、関係性が壊れてしまうでしょう。
合っていたとしても、相手の期待水準が上がってしまい、あとで失望させる結果を招くやもしれません。
と言うので、夢分析による解釈を相手に伝える、と言うことを。
極力控えると言うセラピストも、多くいらっしゃいます。
それよりも、相手の話(敢えてクライエントとは言わず)に耳を傾け。
「そう仰いますが、どう思われますか」と問いかけるほうがよろしいでしょう。
……えー、だって。
提唱したかたって、1~2世紀前のかたですし。
生まれも日本どころか。
東洋ですらないんですもん。
文化も違えば、風土も違うわけで。
しかも、時代すら違うわけです。
なのに、「大家がそうしたから」と。
日本でも教科書通り解釈するなんて──乱暴だと思いますし。
それを得意気に伝えるなんてことがあれば。
そのように意図したことでなくとも誤解されたところで、当然のことと言っても過言ではないのです。
──と言うのもあり。
他にも、数多の要因があるのですが。
わたしは、学術をぞんざいに扱うかたを。
尊敬できないのです──どうしても。
……え、なんで今日はこんな厳しいのかって?
そんな気分なのですよ──なぜだと思います?
──そう、言わぬが花です。
つまり、そう言うことなのですよ。