koihaouka’s blog

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

いま、ここにいる

物心ついたときから。

『生と死』について、興味がありました。

 

生きとし生けるものの生と死もそうなのですが。

元来、小さな頃から変わらずアニミズム的思考の強い人間ですので。

 

季節の変わり目には、精神的に不安定になっていたモノです。

今でも思います──あぁ、冬が死んで春が生まれたんだ──とか。

 

無論、生物と無生物の区別はついているんですけどね。

これでも生物の成績はよかったのですよ、僕は←

 

──あぁ、それにしても。

最近は「生」よりも「死」のほうに関心が向いているきらいがあります。

 

生きていることを前提とした死しか観測できないにも拘らず。

死とは、望まずとも向こうからやってくるモノですから。

 

限りなく理想に近い現実。

これが、死なんだと思うんです。

 

──どれだけ遠く感じようとも。

そこに在るモノとして、死が存在している──いつでもどこでも、息の根を止められるように。

 

……いいえ、死にたくはありませんよ。

されど、生きたいとも思っていないのです。

 

思っていても思っていなくても。

命ある限り生きるしかなく、死はやってくるのですから。

 

コントロール不可能なことに思考のリソースを費やさないようにしたい、と言うのが本音です。

それよりも──今、そしてこれからをどれだけ楽しく生きることができるかを。

 

僕は、考えています。

その一環でもあるでしょうね、『生と死』に関心があるのは。

 

そして、「死」についてもっと具体なモノとして捉えられ。

それに伴い今後費やすことのできるリソースについて検討することができるのであれば。

 

それはそれで、有意義なモノになるでしょう。

もちろん、生きている今とこれからについての話です。

 

それって、僕の生き方としては。

けっこう、理に適っていることなのです。

 

なので、修士論文の候補としては。

生者が死にどのように捉え、それが生の質を向上させる一助となれるかについて検討すること──そのアプローチ方法について、なんかが。

 

ひとつ、ありそうだなぁと思うわけです。

じゃあそれを、どう研究するかなのですけども。

 

それについては、秘密です。

あー……研究計画書書かないとナー(棒)←