物心ついたときから。
『生と死』について、興味がありました。
生きとし生けるものの生と死もそうなのですが。
元来、小さな頃から変わらずアニミズム的思考の強い人間ですので。
季節の変わり目には、精神的に不安定になっていたモノです。
今でも思います──あぁ、冬が死んで春が生まれたんだ──とか。
無論、生物と無生物の区別はついているんですけどね。
これでも生物の成績はよかったのですよ、僕は←
──あぁ、それにしても。
最近は「生」よりも「死」のほうに関心が向いているきらいがあります。
生きていることを前提とした死しか観測できないにも拘らず。
死とは、望まずとも向こうからやってくるモノですから。
限りなく理想に近い現実。
これが、死なんだと思うんです。
──どれだけ遠く感じようとも。
そこに在るモノとして、死が存在している──いつでもどこでも、息の根を止められるように。
……いいえ、死にたくはありませんよ。
されど、生きたいとも思っていないのです。
思っていても思っていなくても。
命ある限り生きるしかなく、死はやってくるのですから。
コントロール不可能なことに思考のリソースを費やさないようにしたい、と言うのが本音です。
それよりも──今、そしてこれからをどれだけ楽しく生きることができるかを。
僕は、考えています。
その一環でもあるでしょうね、『生と死』に関心があるのは。
そして、「死」についてもっと具体なモノとして捉えられ。
それに伴い今後費やすことのできるリソースについて検討することができるのであれば。
それはそれで、有意義なモノになるでしょう。
もちろん、生きている今とこれからについての話です。
それって、僕の生き方としては。
けっこう、理に適っていることなのです。
なので、修士論文の候補としては。
生者が死にどのように捉え、それが生の質を向上させる一助となれるかについて検討すること──そのアプローチ方法について、なんかが。
ひとつ、ありそうだなぁと思うわけです。
じゃあそれを、どう研究するかなのですけども。
それについては、秘密です。
あー……研究計画書書かないとナー(棒)←