koihaouka’s blog

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

ルーペの持ち方について

ある程度の固定観念は必要だな。

なんて話をします。

 

ある日、こんな問題を見かけました。

 

 

これ、よくできた問題だと思います。

そして、こう言う問題が実は苦手なので。

 

たぶん、目安となる時間よりも3分ほど多くかけて。

じゃあこの人数かなぁ……と思った辺りで。

 

ふと、こんなことを思ってしまったのです。

指の多い人と少ない人が混在していたらどうしよう、と←

 

 

……だって、言ってないんですもん。

それも考慮したら変数が多すぎて分からないなって思って。

 

ですが、それを言い出したら。

シャム双生児とかシャムはシャムでも1個体として戸籍に登録されている人はどうなるのか、とか。

 

そもそも指がない人であれば、とか。

そんなのについて検討し始めたら不可能問題になって破綻してしまうしなぁ……と。

 

まぁ、5本指でやったんだろ、と言うことにして。

落ち着いたんですけども──えぇ、なのでこんなツイートをしておきました。

 

 

──よく、「固定観念が邪魔をする」とか。

固定観念をなくしていこう」と言われますが。

 

それは、固定観念と言うモノを悪しきモノと捉えすぎなんじゃないかなって思うのです。

もしそうなら、慣習も習慣も習性もその修正も何もかも、必要じゃなくなってしまいますから。

 

道を進むとしたら、当然のように足を用いるかたが大半かと思います。

それは、足で進むことが一種の固定観念になっているからです。

 

別に、腕を用いて進んでもいい筈です。

逆立ちして、腕を用いてよいしょ、よいしょっと。

 

……え、それが大変だから足を使うんだって?

それは習慣に依るモノなんじゃないですか?──視覚が立っている状態に慣れてしまっているからじゃないでしょうか。

 

ずっと逆立ちで生きてきたかたにとっては。

そうではないかもしれませんよ──寧ろ、足を用いて進むほうが難しいかもしれません。

 

海でずっと暮らしているかたは。

陸に上がると酔うそうですが。

 

陸の上でずっと暮らしている人からすると。

この状態が普通なので──海に行くと寧ろ酔う、と思うほうが自然と言えるんじゃないでしょうか。

 

ところが、海で暮らすかたがたは。

それと同様のことを、こちらに思うわけです──陸にいてよく酔わないな、と。

 

つまり、そう言うことです。

陸にいるかたが海では酔うと思うように。

 

海にいるかたが陸では酔うと思うように。

そして進むときには足を用いると我々が、思うように。

 

それが便利、と言うか自然だと見做すには。

固定観念がないと、難しいわけですね。

 

学習の成果として。

それが遂行するために理に適った方法であると染み込んでいるからこそ。

 

あまり不自由なく。

日常生活を送ることができる、と言えます。

 

なので、上記の問題では。

5本指であることを前提として解いたかたが多いと思いますけども。

 

中には、そうじゃないかたもいらっしゃるので。

そう言ったかたと出会した際にはぜひ──5本指が普通だろうが、と。

 

無理やり、こちらの常識を宛わないようにしていただきたいなと。

切に願うばかりです──え、わたしに対して?

 

んー、別にいいですよ。

5本指以外を検討し始めたの、半ば暇潰し目的でしたから──あははっ