「なんで人を殺してはいけないのか」と訊かれたとします。
あなたはなんて答えるでしょうか。
殺される人のことを思うでしょうか。
それとも、殺すその人のことを思うでしょうか。
それとも、リスクとベネフィットを天秤にかけ。
どちらのほうが得かを説くのでしょうか。
──わたしの場合には。
どちらが得か、そして損かで答えることが多いと思います。
相手を見るのですけども。
基本は、そう答えるんですよね。
相手のことを思うのって、あまり得意ではなくって。
言葉は幾らでも出てきますし、相手を動かし易い台詞については。
紡げないこともない、わけですが。
あくまで自分のため、なんですよね。
あと、殺される人のことを思おうとしても。
対象がどなたか存じ上げないですし。
存じ上げたとしても。
「あぁこの人が殺されたら困るなぁ」って人については。
んー……実のところ、思い当たらないんです。
実際に殺されたら、某かの影響がこちらに及ぶであろうこと自体は考え得るのですけども。
──ですが、殺人に伴うリスクや。
それに伴うベネフィットを天秤にかけたときに。
リスクのほうが甚大である、と言うことであれば。
ゼロリスクが好きな日本人の場合、踏み留まる可能性が高いですし。
以前、話していたかたが殺人容疑で逮捕、なんてなれば。
やっぱりそれはそれで、寝覚めが悪いですからね。
それについても、ハッキリ伝えることにしています。
「だってきみ、わざわざ僕に話をしてくるってことはそう言うことだよ?」と←
そして万が一。
『あなたは誰かが死んでもぐーすか眠ってるタイプだと思った』とか。
『あなたは私が誰かを殺したところで血の滴る肉にありつくタイプかと思った』とか。
言われたとしたら──今までそんなサイコさんに出会してはいませんが──こう言うと思うのです。
「失礼な、きみはそんなことを思っているのか」と。
笑いながら──正解か否かを、伏せておいて。
……それにしても。
人が直接、殺人を犯さないで一生を終えるために必要な構成要素って、一体なんなんだろう。
— バロック (@lunatic_baroque) 2022年7月3日
本当に、これに尽きます。
それを思い出しまして──本日は、そんな話でした。
僕の誕生日らしいっちゃあ、らしいでしょう。
嗚呼、何人たりとも殺さず。
人として生き。
人として死ねますように。