思うのですが。
一般に、性自認について話をするときには。
生物学的性別と。
社会的意味合いから見た性別と。
一体、どちらの意味で話されることなのでしょうか。
わたしはこの手の話をするときには、後者の意味で話をするのですけども。
なぜか、その流れで話をしていた筈なのに。
前者の話と混同されて。
次に、前者の話をしていたことになり。
前提として「わたしは自身の性を決めていない」と言う話から始まっていると。
この人は自身の性別と。
生物学的性別とが一致していない性別違和を起こしているんだ──なんて、言わば。
決め付けをされることが多いわけですが。
なんでしょう、こう言うときに。
相手の思考レベルが幼稚だから仕方がない、と割り切ろうか。
もしそうだとしたら他の話でも齟齬を来すだろうから二度と話をしないことにしようか、とか。
色々と、考えるわけです。
計算違いを起こしていることに気付かずにいるわけですから。
そして、点数を付けずに返そうモノなら。
「ここはなんで間違っているんですか」と言ってくるわけでしょう。
そして、それだけならいいのですが。
かくかくしかじかで点数を上げることができない、と説明すると。
今度はこちらが「間違っている」と言われ。
計上した点数を勝手に記載され、鼻を鳴らされる──喩えるなら、そう言うことが起こるわけですね。
そして、そのことについて指摘しても。
相手の信念ではこちらが間違っていると見做されているわけですから。
訂正も修正も叶わず。
このまま退くのが関の山と、相成るわけですね──なんだか。
このように、人と話をしていると。
価値観が違いすぎるなぁと、思わずにはいられないことが屡々あります。
このことについて、善し悪しを判断いたしかねるわけですが。
もういっそ×しちゃおうか──なんて考えがちらつきます。
よく今まで、誰のことも直接的に×さず。
自分だけ直接的にズタズタにしながら生きられたなぁと思いつつ。
今までもできていたから次からもできる、と考えるか。
今までもできていたけど次からは分からん、と考えるかについては。
保留しておきたいところです。
どちらにせよ──わたしのような破壊衝動を持て余すような人種にとって。
できるかできないかよりも。
やることのほうが、大事なのですから。
──と、言うことで。
これからも、人を×すことなく──○きるとしましょう。
……え、あぁ。
性自認の話ですか。
生物学的性別については、自明ですよね。
インターセックスじゃない限りは、どうしたって。
なので、後者の意味合いかと考えるわけです。
と言いますか、そうとしか考えられないのですが──それとも。
周囲がそんな自分にとって当然のことが。
当然ではないと?──なんだか、おかしなモノだと思いますよ、本当に。