学生時代に。
「自殺を企てたことのある人は、自殺をするかしないかの選択に迫られる」と。
准教授から、言われたことがあります。
己が内から考え場合によって行動に移したことであれば。
そりゃあ、そうなるだろう。
なんて、当時の僕は思ったなぁと。
そんな、記憶があります。
だって、少なくとも一回は選んでいるわけですし。
今まで、『しない』と言う一択のみだった。
若しくは、意識せずともしないことを選択し続けられていた状態には、戻れなくなっているわけですね。
なぜなら、もう既に。
経験してしまっているから、です。
──と、言うことで。
この後、准教授は。
そのように、自殺を企てたことのある人向けな。
支援の在り方について、講釈を垂れていたわけなのですが。
じゃあ、自殺を企てたことのある人はどのようにして。
自身の問題に対処していくべきか、その方法論は──と言うことについては。
一切、触れていなかったなと。
それもあって、ちょこっと思うことがあるので。
それについて、書こうかなと。
長くはならないと思います──最近、長く書くことが難しくなってきましたから。
そうですねぇ。
まず、自殺を企てたことのあるかたは。
誰にそれを言い、誰に言わないか。
──と言うことを、決めておくといいです。
これは、相手に理解をしてもらうことを念頭に置いているわけではなく。
自身がなぜ、いつ、どこで、どのように自殺を企て易いのか──傾向を掴め易くなることを念頭に置いているわけです。
すると、生き易くなるのと同様に。
死に易くもなります──え、死に難くならないのかって?
んー、下手な死に方をし難くはなるでしょうが。
自身が自殺を行う際の向き不向きについては自覚することになりますから。
死に易くもなると思いますよ。
ただ──自殺なんてダメだ、なんてずっと溜め込んでいると。
ある日突然、ふと死んじゃう人もいるんですよね。
その人にとって本意か不本意かは関係なく──なので、いざと言うときに。
本意な死に方を選べるようにしておき。
同時に不本意な生き方を選び続けられるようにもするためにも。
誰か、言っても問題ない人に言うことと。
言ったら問題になる人に言わないことを決めてしまうことが。
必要だと、思うのです。
……そうですねぇ、相手に理解してもらうことが目的ではないので。
聴いてくれる人で。
且つ、あまりこちらの話を吹聴しない人であればなおいいでしょう。
誰もいなければ、人形でもいいと思いますし。
誰かの写真や、二次元イラストでもいいと思っています。
要するに、自殺に関することについての自己理解を促進すること。
これが──兎角、大事。
眠れなければ、眠れない状態について口に出しても構いませんし。
頭の中がぼんやりしたり、ざわつくなら──そのことについてノートに書いてもいいでしょう。
誰か、と言うのは別に。
何か、でも言いんですよね──だって。
他人がいないと生きられないって言いますが。
別に他人に代えが利くならなんだっていいじゃないですか。
自身だけは代えが利かないけれども、です。
それ以外は代替可能なんです──自身が生きるか死ぬかの前では。
なので、自身の納得できる方法を模索し。
検討し続けることが、案外いい暇潰しになると。
わたしは、思いますね。
人生って長いようで短いんでしょう?──じゃあ、それもそれでアリですよね。
──なんて。
するかしないかは、あなた次第です。