得るモノのない本がある、と。
思うとしたら。
それは、その本から得るモノがないと。
得ることができた、と言うことに反するので。
その人は、誰かに対しても。
似たような思考なんだろうか、と。
思ってしまうんですよね。
読書の仕方って、人との接し方に似ていると思っていますので。
……確か、7月を英語でJulyとするのは。
古代ローマで第一回三頭政治をやってたユリウス・カエサルから来ているのですが。
彼は、大変な読書家で。
教養のための読書、と言うよりかは。
何かを得るための読書を、していたようですね。
じゃあ、彼は最初の1行に書いたような本に出会していたらどう考えたのだろう、なんて考えてみると。
別に、得るモノのない本だな──とか。
そんな受動的なことを考えなかったのでは、と。
そう、妄想するわけです。
じゃなければあんなに遠征したり野心剥き出しで終身独裁官にはならんだろ、と思いますし。
能動的に行動してきた彼が。
自身で手を出したモノに対して「無駄だった」と評するとは。
到底思えないなぁと。
わたしはぼんやりと、思うのでした。
……遠征で思い出しましたが。
東方大遠征をした古代マケドニア王国のアレクサンドロス大王も、読書家でしたね。
10年目のトロイア戦争を描いた『イリアス』を愛読していたと。
あの話を要約すると。
アキレス腱の語源となったアキレウスが怒り、泣き、怒り、鎮まる話です(語弊)←
……登場人物の多さや天丼の如く似たような描写が繰り返されることにさえ慣れれば。
比較的楽しめる叙事詩だと思いますので。
ぜひ、ご興味があれば。
で、FGOでも始めるといいんじゃないでしょうか(適当)←
……ところで、上記の『イリアス』ですが。
得られるモノがあったか、と言われると。
けっこう、微妙でした。
あんなこと、こんなこと、あったーでしょー……くらいのモノで。
役立てる予定もなければ。
役立てるつもりもなかったので。
何か無形のモノが渦を巻いているだけで。
このまま無意識の底に沈んで終わりだろ……くらいに、思ってましたが。
後半部分で、どうしようか書き倦ねていたら。
ふと、思い浮かんでくれたので──いい感じに字数稼ぎできました←
確かに、有形になっていないことには。
役立てることは、難しいわけなのですけども。
無形であるモノは無形のままにもできれば。
無形のモノを有形に作り変えることもできますし。
元から無形であることを既知であるが故に。
有形にしたモノを無形に戻すこともできるわけで。
そう考えると──えぇ、本当に。
得るモノのない本も。
得るモノのない人も。
いないんだろうなぁと、思うのでした。