人様に対し。
真っ赤な嘘を吐くことに抵抗があるか、と言われれば。
勿論、あります。
自分では責任の取れない行動をすることと等しいですから。
──では。
人様を欺くことに抵抗があるか、と言われれば。
勿論、ありません。
人は欺き欺かれる生き物だからです。
娯楽であっても、建前を極力排除した本音でさえも。
言わなくてもいいことを言わず、順番を平易さや旨味を優先するあまりバラバラにしたりなんてのは。
よく、ある話です。
そのほうが、伝わるからです。
柔らかいがゆえに、相手にじんわりと浸透していくので。
直球で伝えるよりも、相手が拒絶しにくくなります。
……なのに、世に出てみると。
この区別が、付いていないかたが多いように見受けられます。
なんでもストレートに言うことが。
優しさであり伝わり易いと思うかたもいれば。
嘘も方便である、と。
裁量を超えた真っ赤な嘘を並べ立て、窮地に追いやられるかたもいるわけで。
嗚呼、なんて人は愚かなモノなのだろうと。
僕はそれを観察しながら、思うのでした。
……えぇ、社会人には絶望してますとも。
繋ぎ直しても、元のようには望めますまい。
人とは、なるべく付き合いたくありません。
必要最小限の接触のみに、したいです──が。
自分にとって、切ることが簡単なら。
繋ぐことも簡単と言うことに気付いてしまった僕にとっては。
別に、繋ぐことも繋がないことも似たようなモノであり。
繋いだ状態も、繋いでいない状態も等しいモノなので──僕にとっては。
自分で行ったことであれば。
どちらでもいいんですよね、本当に。
……綺麗に繋がっている状態ってのは、どこまでもなめらかに続いていて。
それはそれは、美しいモノではあるのですが。
もう取り戻せないモノに執着していても、致し方ありませんので。
僕が繋ぐも切るも自由、と言うことで。
……え、なんの話かって?
自分が望むか望まないかの話です。
誰から望まれるでも、望まれないでもなく。
あくまで僕自身が、望むか望まないか、と言うことで。
──この左にある線みたいな綺麗なのだったらよかったのですが。
─ ─この左にある線みたいにしたままでも、別にいいし。
─•─こうやって中点を設けて結んでもいいし。
------このように一見繋がっていないように見せかけて実は規則正しく繋がっているように配置するだけでも。
別に、僕がやるのであれば。
別にいい、と言うことですよ。
僕が望むのであれば。
それで──いや。
それが、いいのです。