んー、題材が思い浮かびません。
なので、今考えていることなんかを。
「あなたの嫌なことをしたい」と言う人がいたとして。
その人ってこれだけはしないんだろうな、と言うことを。
ぼーっとしてたら、思い付いたのですよ。
何かと言うと。
「あなたが死ぬと嫌だな」と言っても。
その場で死のうとはしないよなぁ、と。
嫌なことをしたいと言うのだから。
やればいいのに、です。
それとも、これはあくまで。
やりたいことであって。
やるべきことではない、と言う判断なのでしょうか。
だとしたら、論理的であろうかと。
──英文法で仮定法と言うのがあって。
日本語でよく「もしも〜だったら」と言うことだと思われがちですが。
実際には、その中でもさらに。
思っているだけでやるかと言われたら話は別、と言う意味合いもあるんですよね。
その辺については言わずもがな、と言う表現をせず。
自分の言うことが空想であるか事実であるかを明確に相手に伝える文化なんですよね。
日本語の場合、そうでもなく。
空想であるか事実であるかの判別については、聞き手と話し手の関係性に照らし合わせ判断することが多いですね。
なので、関係性の構築が上手くいっていないと。
どんどん話すことがズレていきがちだよなぁと。
えぇ、思っております。
閑話休題。
わたし自身は、態々口に出して言うんだから。
責任を持ってやれよ、と思うタイプです。
やる気がないならば、「これは戯言なんだけど」と言う前置きが欲しい。
そう、思うタイプです──なぜなら。
言葉にする、と言うことは。
それを受ける相手が(自他問わず)存在するわけであり。
そうする以上。
相手のリソースを少なからず共有──最悪の場合には。
奪うことになるからです。
なので、言葉にするのであれば。
それ相応の責任を取らなくてはならない。
──と、わたしは思っています。
皆さんは、如何でしょう。
その言の葉、無駄にはしていないでしょうか。
その言の葉は、どこから出たモノでしょうか。
そして、どこまで行くモノでしょうか。
──気を付けたいところです。
わたしも、含めて。