自分のドッペルゲンガーに出会うと。
死んでしまう、と言う都市伝説があるようで。
死んでしまう、と言うよりかは。
消えてしまう、が正確だったような。
んー、出会ったらどうしようか。
なんて話では、ないのですよ。
ただ、なんで死んでしまうのか。
と言うか、消えてしまうのかについて。
なんとなーく、考えていることがあるので。
ちょっくら、お話しようかなぁと。
抑も、死ぬこととは。
どのようなことを指すのでしょう。
と、言いますか。
どのような状態なのでしょうね。
生きている状態の否定ですから。
生きていない状態、と言うことなのでしょうけども。
つまり、生きているために必要なリソースが。
零の状態であろうと。
で、ドッペルゲンガーに出会うと。
死んでしまう、と言うことですから。
こちらが例えば、陽性のリソースを保持していたとしたら。
向こうが陰性のリソースを同量保持している、と言うことじゃないかなと。
なので、こちらとあちらが出会う(まぁ重なると認識しています)と。
リソースが零になってしまう。
なので、死んでしまうし。
なんならこの世に限界している際に保持しているリソースが全て零になってしまうゆえ。
消えてしまう、と考えると。
これはこれで、成立しそうだなぁと言う。
そんな、妄想を。
かれこれ10年以上、しているわけです。
……まぁ、その際にドッペルゲンガーも同様に。
消えてなくなっているんじゃないかなぁって思いますよ。
じゃないと、こちらの考えが誤りと言うことになりますし。
とは言いましても。
それを確かめる術が、ないんですよねぇ。
どうなることやら。
……ん?
もし、ドッペルゲンガーがこの世に残るとすれば。
あちらがこちらに来ている、と言うことも言えるのかなぁと。
すると、わたしはこの世界で存在するためのリソースを。
あちらに持っていっている、と言うことになりますね。
ドッペルゲンガーと、リソースの居場所を交換し合った。
なんて言い方もできます。
そうですねぇ。
こう言う妄想って、なんでこんな面白いんでしょう←
皆さんは、どのように考えますか?