学生時代に。
Twitterを開いては。
徐に学術的ツイートをし。
タイムラインで関連することを見かけると。
相手の話を聴きながら。
如何にして自身の知見を利活用するかを。
考えることが多かったなぁと、思い出しました。
卒業後(正確には、塾講師業を退いてから)は少なくなっていましたが。
最近、その習慣が復活したようで。
たまに、気になるツイートを見かけてはリプライをするようにしています。
だって、そのほうが。
モノにし易くなりますから。
僕の目的は、あくまで。
習得した知見をモノにすること、ですもの。
単位を採ることなんて、二の次です。
あんなのは、自然と付いてくるモノだと思っています。
そもそも、順番が逆だと思うのです。
単位を採っても、モノになっているとは限りませんが。
モノにしているのに、単位を採れていないなんてことは。
まず、ないのですから。
──あぁ、それにしても。
使っておいてなんですが。
〝学生時代〟って表現。
どうにもしっくりこないですね。
学業ができるのは若者の特権だなんて。
いったい、誰が決めたのでしょう。
──上が、でしょうか。
そうかもしれませんが、実際にそれについて納得したのは我々だと思うのです。
学んだり、修めたいモノがあり。
研究したいことがあるのであれば。
取り組んでもいいじゃないですか。
それで文句を言う人たちがいたとしても──僕には、興味がありません。
それまでの人たちだった、くらいには思いますが。
個人のやりたいことについて足を引っ張るメリットを訊いても、答えてくれないですから。
こちらも、言うことを聴くメリットがないので。
やるだけ、なのですけどね。
なので──時代と言うモノに合わせる必要は、ないと思っています。
「世間が許さない」と言う人は新潮文庫版の『人間失格』100頁を読んでショック状態になるといいんじゃないでしょうか←
……なんて。
あぁいけない、本音ばかり書いてしまうなんて。
さてさて、明日からお仕事開始です。
張り切ってまいりましょう。