試験ですか?
余裕でしょう、えぇ。
──と言う、上記の2文が。
決まり文句と見るか否かで。
皆さんが──あなたが。
引越し前からの読者さんか否かが分かると言う。
言わば、読者ホイホイな文章なわけですが。
致命的な設計ミスがあるとすれば。
いらっしゃるかたがどなたでどなたかなんて。
元から存じ上げないので。
集計したところでその意味では無意味なんですよね。
嗚呼、ハッタリってこうやって象られるんですねぇ気を付けないとですね←
なんて。
話を最初から仕切り直してもいいですか?←
えっと。
試験自体は、余裕でした。
マークミスをしていなければ、受かっているでしょう。
案の定、難しくはなかったですし。
マスク付けたまま階段を昇ったのは我ながらアホだったなとしか←
……10階くらいでしょうか。
会場、高いところにありますし。
いい運動でしたよ、もちろん。
酸欠で死にそうでしたが──間違っても『死ねばよかったのに』とか思わないでくださいね、脱線しますよ?←
次は、対処の仕方を変えようかなって思いますよ。
エレベータを使用するとか。
ですが、エレベータなんですが。
あれこそ三密ですよね。
濃厚接触し放題と言いますか。
恐いったらないんですよ。
しかも皆さん、階段使いたがらないですし。
いい運動になるので道連れしてもいいんですが、えぇ←
……とは言いつつも。
伏見稲荷大社を70分で踏破した僕としましては。
10階を登るくらい、余裕なのですが。
まぁ、あれですよね。
そう言う無茶をするコツは。
命の限界を感じても、無視することですし──と、言いますか。
僕、運動音痴なので。
運動しようと躍起になると、命を削るだけやってしまうんですよね。
ハイになって、あわよくば。
このまま轢かれて死んでもいいや、と思えるくらい。
そう言う運動の仕方を長年続けていると。
10階分登るとか、伏見稲荷大社の往復をするとか。
大したこと、なくなってしまうんですよね。
皆さんは──あなたはぜひ、真似しないでくださいね。
大博打もいいところですから。
死ぬか生きるか、みたいな。
あぁ、でもですね。
僕は、こう思っているのです。
死ぬと言う事象は。
生きているからこそ起こる事柄であると。
即ち、死に向かう生が必定であるゆえ。
生をどのように謳歌しようと──浪費、消費、投資しようと──それは他者を慮ることさえ失念しなければ、自由であろうと。