無神教者の祈り
分かると言うのが。
分かってしまう、と言う自覚となり。
分かろうとすれば。
幾らでも分かることができる、とするならば。
分かりたいことと。
分からないほうがいいことを。
明確に、区別できるほうが。
精神衛生上、よいことでしょう。
──えぇ、確かに。
分かりたいことの対は、分かりたくないことです。
分かりたくないってことは。
分からないほうが、痛くも痒くもない筈です。
なぜなら、分かることについて苦痛でなければ。
そうは感じないから──そうですよね。
──しかし。
分かりたくないことを保留し遠ざけ続けた結果、災厄が死ぬまで祟るように続くこともあるのですよ。
分かることで、災厄を打ち破られるなら。
痛くても苦しくても──分からなくてはならないことが、あると思うのです。
つまり、分かりたくないことと。
分からなくてもいいことは──完全に一致するモノではない、と言うことですね。
もちろん、部分一致している事象なので。
その共通部分については、そのまま放置でいいのだと思いますが。
知らずに放置するのと。
知って放置するのとでは──身の振り方が、大きく異なることでしょう。
──えぇ、本当に。
あなたの未来が、これからも平かであらんことを。