koihaouka’s blog

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

無神教者の祈り

分かると言うのが。

分かってしまう、と言う自覚となり。

 

分かろうとすれば。

幾らでも分かることができる、とするならば。

 

分かりたいことと。

分からないほうがいいことを。

 

明確に、区別できるほうが。

精神衛生上、よいことでしょう。

 

──えぇ、確かに。

分かりたいことの対は、分かりたくないことです。

 

分かりたくないってことは。

分からないほうが、痛くも痒くもない筈です。

 

なぜなら、分かることについて苦痛でなければ。

そうは感じないから──そうですよね。

 

──しかし。

分かりたくないことを保留し遠ざけ続けた結果、災厄が死ぬまで祟るように続くこともあるのですよ。

 

分かることで、災厄を打ち破られるなら。

痛くても苦しくても──分からなくてはならないことが、あると思うのです。

 

つまり、分かりたくないことと。

分からなくてもいいことは──完全に一致するモノではない、と言うことですね。

 

もちろん、部分一致している事象なので。

その共通部分については、そのまま放置でいいのだと思いますが。

 

知らずに放置するのと。

知って放置するのとでは──身の振り方が、大きく異なることでしょう。

 

──えぇ、本当に。

あなたの未来が、これからも平かであらんことを。