koihaouka’s blog

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

くえすちょん

ふとしたときに知人とセクシャルマイノリティの話になったときに。

性的指向のない人って精神的に幼いってこと?」と言われたことがあります。

 

そのかたの言う『幼い』の定義がよく分からなかったのですが。

時間も限られていたのでこう返しました。

 

違うと思います、と。

性的指向のない人もいますし生物学的同性に対しての人もいれば事物に対しての人もいます、と。

 

──こう言うとき、なんて伝えるのが最適なんだろうなと思いますが。

今のところ、最適なのが1つだけなんですよね。

 

こう言う、他者のことを決めたがる人には近付かない。

ただ、それだけ。

 

なので──こうして話すことになるなんてのは。

ちょっとした交通事故のようなモノなので。

 

次から、せめて出会い頭で衝突しなければと。

そう思って、やまないのですよ。

 

……因みに、全ての人がそうではありませんが。

他者のことを決めたがる人の言動のパターンは、何れも似通っているイメージです。

 

まず、不確定事象を断定口調で話す傾向にあります。

──いま、わたしは『傾向にある』と言った語法を用いましたが。

 

彼らの場合はハッキリ、ズバリと言います──そう、左のようなこんな風に。

心理職にもこんなかたがいらっしゃるのでけっこう不思議に思っています──いや、決めんのお前じゃねぇし──って思いますけどね、わたしは←

 

あと、クローズドな質問をするかたが多いです。

オープンな質問が最初の話の取っ掛かりだけ、と言う。

 

「はい」か「いいえ」若しくは「わからない」と。

この3つの語彙があれば会話が成立してしまうような質問を、ポンポン投げかけるのです。

 

そして、その通りに辿っていくことで。

脳内で『あなたはCタイプ!○○で××なので気を付けましょう!』と言う場所に着きそうなモノを用意していて。

 

それ以外の可能性についての検討を、なかなかしないかたが多いなと。

 自身の作成したマニュアルから応用を利かせることができない、と言いますか。

 

結論づけたら、そこから動けないのに。

結論づけることに、終始している──そんな印象を受けます。

 

なので──わたしの場合。

そう言ったかたではなく、そうではないかたと付き合うほうが向いていると思っています。

 

つまり──判断を保留できるかた。

ないしは、自身が出した答えに固執しないかた──そんなかたと、です。

 

……いいえ、人として付き合うとしたら。

そう言う意味です。

 

──それと、1つ思い出したので。

序でに、書きます。

 

誰かのことを勝手に決めつける人を。

わたしは、頭のよくないかただと思っています。

 

自身のことについて勝手に決めつけ。

安定を求める人についても、同様に。

 

ただし、自身の性質について一旦は決めておき。

時の流れとともに自身の性質が流転する最中で。

 

今まで判断してきた暫定的な解答を。

適宜、修正できる人については。

 

心の底から、尊敬しているのです。

誰かにニュートラルになる以上に、自身にニュートラルである人は──とても、スマートですから。

 

例えば、わたしは自身をXジェンダーだと思っていますが。

内的な性別であるからこそ、自身の移ろいや揺らぎゆえに違うモノとなる可能性を棄却しているわけではありません。

 

なぜなら、自身は曲がりなりにもこの世に存在しているからであり。

様々な事物を見続けている中で自身の価値観が変わることを許諾、しているからです。

 

そうなろうとも、わたしはわたしであるわけですから。

誰かから何を言われようが、それは揺らがないのです。

 

──ところで、LGBTQについて無知のまま。

彼らの内に土足で踏み入るような人種については、いただけないなぁとは思いますが。

 

自身がLGBTQのどれかであることに固執し。

それ以外についての検討をしなくなる人たちについても、如何なモノかと思うのです。

 

これは、自身で検討すべきことで終始一貫するモノですし。

誰かから言われて強制的に矯正されるモノであってはならないので。

 

個人的に、わたしはそう思う。

と言う程度にしか、主張できないのですが。

 

社会的な枠組に自身を合わせることで。

自身が身動きの取れなくなる状況については、避けたいところなのですよ、わたしは。

 

──全てのレズビアンは生物学的に女性〝だけ〟を。

全てのゲイは生物学的に男性〝だけ〟を、好きになるのでしょうか。

 

全てのバイセクシャルは〝誰でも〟いいってことなのでしょうか。

全てのトランスジェンダーはそのジェンダーの通りの生物学的異性〝だけ〟を好きになるのでしょうか。

 

クィアは、クエスチョニングは、インター、アセク、X、パンセク、アンドロやジニは?

──例外なく、それなのでしょうか。

 

違うと思うのは、わたしだけでしょうか。

一人ひとりが円を描いても、すべて同じにならないように。

 

自身の性質が、例え何れかに相当するモノだとしても。

自身の揺らぎや指向までも絡め取られる必要なんて、ないように思うのです。

 

自由に、生きるといいんじゃなかろうか。

そう、わたしは願ってやみませんし──自身もそうでありたいと、思っています。

 

……ちょっと、長くなってしまいましたね。

近々、これに関連することをちょろっと書くかもしれません。

 

そのときは、よろしくです。

ではでは──お疲れ様でしたっ