以前のわたしと。
現在のわたしを。
比較してみると。
実は全く変わっていない──なんてことは、まるでなく。
諸々変わってもおりますので。
少々、そのお話でも。
例えば、10年前には。
わたし自身がXジェンダーだと言う自覚がありませんでした。
生物学的な性を社会学的な性と一致していると見做し。
なるべく周囲から向けられる性の別を意識し、合わせて振る舞っておりました。
実のところ、わたし自身がどの性別なのかと言うことには。
それほど関心がなかったために、容易に合わせることができたわけです。
──ただし、その頃から今も変わっていないこともありまして。
それは……自分の性的指向を規定されると、相手に殺意に似た反感を抱くことでした。
この理由が、当時はよく分からず。
日々、悶々としていたわけなのですが。
大学を卒業し、社会人として世に出始めた頃に。
「どちらでもない」とか「どっちも」とか「どれでもない」とか「ない」なんて性別があることを知ったのです。
まさに、青天の霹靂です。
しかもこの件が自身にしっくりくる──なんて思える自分自身に、さらに驚く羽目に陥るとは。
10年前のわたしには──夢にも思わなかったことでしょう。
それから、です。
今も、性的指向についてあれこれ規定されると。
イラッとはくるのですが──えぇ、それほど。
どす黒い感情に、支配されることが。
なくなったのは。
──数日前のことです。
フォロワーさんから、わたしが理解することに快感を得るほうではなく、収集することに快感を得るほうだと思われていることが分かったのですが。
わたしの場合は、収集することで。
理解をしたときに快感を得られる、と言うことが主なので。
収集と言うのは、手段に過ぎず。
到達したい目標は理解することです──と、似たようなことを伝えましたっけ。
例えば、自身がXジェンダーであることを理解するまでに。
自身で数多のことに思いを巡らせもしたわけです。
そして、知っていることや分かることを収集し。
小さな理解、と言うカケラを幾つも填めていって。
この言い表せないモノはなんなのだろう、と。
悶々としているところに──Xジェンダーと言う、最後のカケラが見つかったわけです。
その瞬間、わたしの中で混ざり合っていた「某のーみそコネコネ」の生物のようなモノたちが。
くっつき合い、消えたときのあの爽快感──これが、とっても気持ちいいのです。
これをわたしは、一種の。
理解体験であると、考えております。
そして──とても、喜ばしいことに。
この考え方は10年前からどころか──物心ついた頃から。
変わって、いないのです。
あぁ、そうだ。
ところで、皆さんの──そう、あなたの、
10年で変わったことや変わらなかったことがありましたら、教えていただけますか。
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」