尺度とは
よく、動物園にいる動物と。
自然界にいる動物の、どちらのほうが幸せか。
なんて話を、聞きます。
さぁて、どちらでしょうねぇ。
前者の場合、衣食住に不自由しないぶん。
行動面に於いて不自由しますし。
後者の場合には。
行動面に於いて自由な代わりに、衣食住に不自由しますよね。
前者の場合には、「お前の野性はどこ行った?」とでも言いたくなるような。
開けっ広げな動物が檻の中で、ぐでーんってしておりますけども。
後者の場合には、野性のまま野生である代わりに。
いつ餓死しようが貪り食われようがそれが当然な世界にいるわけです。
じゃあ、どっちのほうが幸せか?
……えっと、ですね。
そんなの人間に分かるわけがないでしょう←
と言うか『幸せ』ってなんなんですかね。
それ、人それぞれですし。
なぜ動物に人の価値観が合うモノと言う前提で話が進むんでしょう。
そんな悠長な価値観について検討する余裕なんて。
動物達にあるんでしょうか──いやぁ、どうでしょうねぇ←
……え、不毛な話だとは思いませんよ。
少なくとも、これをネタに考えること自体はできますし。
とは、申しましても。
こうして個人に当て嵌まる尺度を別の種に対しても当て嵌まるモノとするのは如何なモノかと思いますし。
その上、「◯◯のため」なんて枕詞が付こうモノなら。
「最悪だぁああああたたたたたた」ですよ←
だって、それ。
自身の善かれとすることのために。
何かを滅ぼしたとしても。
気付くこともなく。
それどころか。
「自分はいいことをした」なんて気持ちよくなるような。
現実を見ようとしない者の言い訳に。
──嗚呼、過ぎないのですから。