祖父が先日。
検査入院をしまして。
どうやら、予定通り。
外科手術を進める模様。
と、言うことで。
何度か仄めかしていた、院試受験ですが。
見送ることと、いたしました。
そんな場合じゃないな、と言うのが理由です。
で、なのですが。
社会福祉士の養成課程に進学するかを同時に考え、悩み続けていたのですけども。
そちらを、優先することといたしました。
……と、決めたら面白いことに。
あらゆることへの、やる気が。
どんどん盛り上がっているんですよね──あ、仕事のやる気は出ねぇです、不悪←
ですが、座学に対するやる気が。
鰻登りになってきたのです──まるで先月の金の価格高騰のような←
実はあのとき、6割ほど。
買い込んでいた金を売っ払ったんですよね。
祖父の相手をするのに、入用になりそうだったので。
それで──売っ払った数日後に金の価格が下がると言う←
なんとまぁ、祖父のおかげですね。
優先すべきことが明確になったのも──金を程よい時期に売ることができたのも。
……え、院試受験断念は祖父のせい?
まさかぁ──あんなのはいつでもできることです。
小中とは違いますから、中等教育課程については。
いつでもできるのが、いいところなのです──え、高校もその時期じゃないと難しい?
えぇ、思春期の頃に高校生活を謳歌すると言うのはもちろんそうなのですが。
あれだって、いつ入学してもいい筈ですから──中卒の場合には。
……おかしなことではないと思いますよ。
わたしは高校、卒業したくてもできなかったですから←
えぇ、本当に。
その話をしてしまうと長くなってしまうので、そちらについては忘れた頃に書くとしまして←
大学院進学と養成課程への進学。
どちらを先にするかによって──修論の内容が異なるモノになるだろう、と言う予感があったんですね。
だって、いちおう。
わたし、社会人ですし。
異動も多くある職場ですから。
転がるように仕事をしている間に、価値観に変化が表れてもおかしくありません。
そして、ある意味では無鉄砲で。
独創的な修論を書くことが、だんだんと難しくなるだろうと思うのです。
経験が、思考を縛るから。
思考が、経験を制御するにはあまりにも事実が大きすぎるから。
……ですが、今回。
祖父が外科手術をすると言うことで。
別に、そんなのは瑣末なことかと。
思い直したのです。
だって、社会福祉士の養成課程へ行く行かないについても。
同様のことが、起こり得るのですから。
わたし、視聴覚が過敏で。
だんだんと外を出歩くこと自体が、億劫になっていっているのです。
仕事であれば──自身の行いに目的性を見出すことができる場合には。
そう言うの、気にならないことも屡々あるのですけども──普段からこうだと。
態々、仕事の合間を縫って実習を受けにいきーの。
講義を受けーの、と言うことについては。
歳を重ねる毎に、制約ができてくるなぁと。
あと、地味に出世してしまったらさらに出席しにくくなるわけです。
フィジカルとメンタルを双方駆使しなくては。
乗り切りにくい事柄を──職場の上司との折り合いをも相手にしながら行う、と言うことが。
どれだけ、億劫か。
と、考えると。
これもアリだなって。
そう、思いました──ところで。
それが、修士課程への進学の場合には。
ちょっと、違うわけです。
もちろん、フィジカルないしメンタルの双方を駆使することには。
変わりはないわけですが。
どちらかと言うと、後者についてのウェイトを占めるんですよね。
となれば──修士課程への進学を後回しにして。
社会福祉士の養成課程に進み、実習を積んだほうが。
祖父にあれこれ接する上でも役立てられるんじゃないか──と、思ったのです。
わたしは未来に生きているわけではなく。
今を生きているわけで。
未来とは、未だ来ないときのことを差しますが。
それは過去から紡いできた今と言う土台があって成立するちょっと先の事象に、他ならないのです。
なので──何度だって書きますが。
祖父には、感謝しているのです。
心理的に、だいぶ楽になったので。
また、会いに行って挨拶してこようかなと。
えぇ、どうか心安らかでありますように。
ですから。
わたしの役に、立ってください。
──おじいちゃん。