先週に3連休がありましたね。
あのとき、あんまり食事をしないようにしていたのです。
食欲がなかったから、と言うのもありますが。
食べ〝なければならない〟なんて考え始めてみたので。
じゃあ、食べないことにしようと。
すると、どうでしょうか。
体が軽くなり。
思考も滞らなくなり。
やるべきこととやりたいことの区別が上手く付くようになってきたではありませんか。
たまにはいいモノですね、ファスティングって。
──んー、習慣化しているモノを敢えて。
生活から外してみる、と言うのは。
これはこれで、面白い試みですし。
やってみると意外な発見があるかもしれませんよ。
習慣を足し続けていると、どんどん生活が苦しくなっていきますが。
敢えて引いてみると──別のことに時間を割くゆとりができますから。
その分、今まで半端にしか注力できていなかったところに。
しっかり注力することができる、と言うのも。
脱習慣の、いいところなのかもしれません。
なのでまた、食事を抜いたりしています。
もともと、食べられるときに食べて。
食べたくないときは食べない、なんて生活が性に合っていること自体は、自覚しているので。
誰かと生活してしまうと、それが上手く機能しなくなっていくのが。
難点ではありますが──えぇ、本当に。
わたし、結婚したくないなぁ。
するとしても別居婚がいいなぁって思いますよ←
思えばあれも、足し算形式ですよね。
したくてもそれどころじゃない人には縁遠い、なんて言われる風習ではありますが。
わたしの場合には。
抑もしたいと思えない、と言うのが大きいです。
昔は、そうでもなかった筈なのですけども。
誰かと一緒に暮らすと言うのが自分にとってどれだけ苦痛なことかを知ってしまった今となっては。
結婚したいなぁなんて。
思わないんですよねぇ──抑も。
昔から、そう言った対象を想像すると。
お付き合いとか結婚とかをすっ飛ばして子どもを育てているところしか想像できないですし。
そう言ったお相手について、実のところ。
それほど興味関心がない──と言うのが、本音なのです。
人を愛するってことについても。
今のところ、実感としてはないので──んー、どうなんだかと。
……えぇ、実感としては。
滑らせましたね、やっべ←
わたしにとって、愛とは。
生殺与奪の権を共有し合うことなんです。
その点で立場が対等であること。
これが、わたしにとっての愛なんですよね。
心中の話って、ありますよね。
あれなんかも、互いの合意の上ではアリ………………………………と言いたいところも実はあります、実際にやられそうになったら「(迷惑ですから)やめろ」と言いますけども←
そう言う相手、存在するのかなぁって。
生殺与奪の権を渡してなるモノか、と思える人なら幾らでもいるのですけども。
と言いますか、知ってる限り全員かもしれません。
なので、もしわたしが人を愛することがあるとすれば。
知ってる限りの中から現れるか。
知らないところから急に湧いて出るかの何れかと言うことになりましょうか。
そして、そんな人と言うのは都合よく現れるモノでもなし。
こちらが探す意志がない以上は。
まぁ、現れねぇだろうなぁ。
なーんて、思うのでした。
──え、介護してくれる人を探さないと?
いらないですよ、めんどくせぇ←