共感?傾聴?受容?
ひと口に。
共感が大事だ、と言いましても。
どのように共感するのか、と言うことや。
何に共感するのか、そして共感できない場合にはどうするのか、と言うことについて。
特段、言及することなく。
それは個々人の経験に委ねられる、として。
よりにもよって。
やっていくうちにどう共感したらいいか分かる、なんて言われた日には。
恐らく、わたしなんかは。
ブチギレるんだろうなぁ、と。
思うわけです。
なんだその再現性のなさは、と。
スーパーバイザーが機能していないじゃないか、と。
個々人に責任を丸投げするな、と。
もちろん、人によって対応の仕方は異なりますから。
個々人によって応対の仕方は変わります。
チャンネルを合わせていないのに。
見たい番組を見ることはできませんし。
信号が合っていないと。
ドローンは1ミリも動きませんので。
どれもワンパターンとはいきません。
しかしながら。
それらは、対応する機種に合わせることであって。
こちらが設計図もなしにヤマカンでコネクタを改造したり、周波数を弄ったりすることとは異なるのです。
なのに、なぜ人間相手だと。
その辺の助言が、テキトーになってしまうのか。
それが、どうにも。
分からないのです、わたしは。
ただ、面倒なだけなんじゃないでしょうか。
やっていくうちに分かると、自らの経験則のみで相手もできると。
稚拙な考えで、断じてはいないでしょうか。
と、なると──このようなスーパーバイザーが。
果たして、共感できる人材かどうかも。
疑わしく、なってきます。
それは、共感ではなく。
価値観の押し付けに、他なりませんから。
──嗚呼、色んなかたがいらっしゃるモノです。