自転車なら左側を走るとよい。
なんて言われますが。
子どもの頃、そう言うのに。
無頓着だったなぁと思うのです。
走り易いほうを走っていました。
田舎だから人が少ないですし。
車は多かったのですが。
別にいいだろ、と。
そう、思っておりました。
今?──いやぁ、えへへ。
そんなこと思ってるわけないじゃないですか。
めっちゃ危険ですよ、右側走るの。
道路交通法上、車道側を走ることにはなっているものの。
車のヘッドライトが眩しくて仕方がないのです。
左側なら、まだ。
こちらが走る側を照らしてくれるから、走り易いのですが。
右側走っていれば、逆光になってしまうので。
道が全く見えないのですよ。
なんてこったい。
わたしの目はこんなに明暗のコントラストを識別できなくなっていたのか、と。
この状態のままであれば、自覚している状態なので。
本当に思いますよ──自転車は左側通行が望ましい、と。
ただ、その調子で子ども達に。
「左側通行が基本だから守るとよい」と伝えるとき。
かなり、大変だよなぁと思うわけです。
だって当時のわたし、聞かなかったですよ。
ちゃんと、明暗をくっきり識別できていたので。
特に危険だと思えない──と言うか、主観的には危険ではない──モノを危険と思わせるなんてことは。
なかなか、難しいと思うのです。
実感が伴わないから、子どもの規範には当て嵌まり難い。
だから、やらない。
守れないのではなく、自身の規範に照らしても合法だからやらない、と。
──このように、経験者か否かを考慮に入れず。
経験ベースで話をすると、齟齬が発生し易くなると言うことを。
予め、承知しておくことが必要で。
これも、相互理解を促進するための手段のひとつ──なのでしょうね。