先週の今頃には。
不明なモノが気持ち悪い、と言うブログ記事を書いていました。
今も、変わらずです。
だから掻っ捌きたくなるんです。
それを有識者が行わないのは。
偏に、知っているからです。
大抵の場合、臓物はこのように配置されていて。
血管はこう張り巡らされていて。
筋肉はこう、筋張っていて。
皮膚はこんな感じで、繋がっている。
そんなことを、知っていると。
わざわざ解体しないでいいんです。
医学の進歩により助かった命は。
こう言った観点から申しましても、確かに存在するよなぁと。
……いや、実際そうですって。
ワクワクのために治外法権でやりたい放題な黎明卿をご存知でない?
『メイドインアビス』を読みましょう。
『メイドインワリオ』じゃないですからね、いい運動になるでしょうかそっちのほうが。
で、なんでしたっけ。
あぁ、そうそう。
知的好奇心がある程度で満たされるのは。
こうして、先に掻っ捌かれたかたがいらっしゃるからですよね。
無料で調べても幾らでも出てくる時代です。
有料でなら、良質なモノを掘り起こすことができますし。
自身で開拓することも、可能です。
なので──わたしは教育と言うモノが。
門戸を叩こうとする者に、合わせる必要なんて。
ないと思っています。
そんな、親切じゃなくてもいいんですよ。
そうじゃないと叩けない奴になんて、開かれないほうがいいんです。
求める方向に知的好奇心を赴かせたら弾かれた。
折れてそのまま果てた──と言うのは、それはそれでいい終わりかたなのです。
これよりも不幸には、ならないわけですから。
なぜか力が有り余っている不届者が事件を起こすことがあるのはなんとも遺憾ではありますが。
心底から、上記のように思っていますよ。
だってこちらが合わせればいいんです、そのための選抜ですから。
挫かれたくなければ、それだけのモノを捧げればいい。
不明なままにしたくないなら、開けるに足るモノを供えればいい。
そう、わたしは思いますね。
──だから。
邪魔しないでほしいなぁ。
わたしはわたしでありたいだけなのだから。