目の付け所が違う話
全体を見渡す行為を。
「鳥の目で見る」なんて、言うとか言わないとか。
それを、俯瞰するとか。
鳥瞰する、なんて言い方もすると思うのですが。
これは、つまり。
遠くから物事を見る、と言うことと等しく。
それなりの視力がなければ。
よく見えない、なんてことにもなりかねないと言うことなんですよね。
なので、そのかたは。
「人の目」と「虫の目」にも、言及されてましたっけ。
散策するように眺めたり。
事細かに見たり、と言ったことだったかと。
そして、全体を眺めてみたくなったり。
また地上に戻ってみたくなったり、と。
何を知りたいか。
どう分かりたいか──と言う基準に則って。
鳥になったり、人になったり。
虫になったりすればいい──と、言うことだったかと思います。
……えぇ、そうそう。
我々は間違いなく人間ではあるのですけども。
別に、イメージの中に於いても。
人間である必要は、ないわけでして。
なりたい自分をイメージするときに。
例え人外であったとしても、別によろしいのではと思うのはわたしだけなのでしょうか。
その範疇までイメージができるのであれば。
それを縛る必要なんてないじゃないか、なんて思うわけです。
なので──全体を見渡したり。
散策するように眺めたり、事細かに見たくなったら。
悠々と飛びゆく渡鳥にも。
岩肌に座って欠伸をする誰かにも──米を食むイナゴにだって、なってもいいんじゃないでしょうか。
──あぁ、もちろん。
強い視力をイメージしても、いいかもしれません。
空から見渡していても。
地上の虫レベルで全てを事細かに見ることができる目を、イメージすると言うのも。
……何かに隠れている?
透視能力のある目をイメージするといいんじゃないでしょうか←
……え、それなら人外である必要がない?
超能力を持った人間をイメージすれば事足りる?──あはは。
その通りです。
……まぁそれ、もはや人外の領域ではと思わなくもなななな()