koihaouka’s blog

ごゆるりと、ゆるゆるなさいませ。

大学の恩人の話をします。

ちらっとだけ、します。

 

彼がわたしと出会ったときの。

第一声を、ご紹介します。

 

「煩悩即菩提生死即涅槃」

以上です←

 

……え、説明?

どうやら、わたしの情報処理力を試したっぽいのですよ。

 

固まるか、突っぱねるか。

何か返すかで。

 

何か、返したと思うんですよね。

なんて返したかは、覚えていないのですが。

 

それから、4年間。

謎の交流が続いたのは、今でもいい思い出となっております。

 

あのかたがいらっしゃらなければ。

恐らくわたし、今頃骨になってますし←

 

……原形を留めていれば。

もう7年ほど会ってないですねぇ。

 

どうしていることやら。

ご健勝だと、いいのですが。

 

さてさて。

と言うことで8番目は。

 

スピリチュアルに関して、です。

えー宗教的なのはーって顔をされないでくださいな。

 

勧誘とかしませんから。

と言うかできませんし。

 

だってほら、わたし。

信仰する宗教、ないですし。

 

と言う宗教には、加入しているかもですが。

信者はわたしだけですしおすし←

 

……え、それって宗教なのかって?

そうですよ──と言うかたは、宗教学のページへGO←

 

Q1.──宗教、大自然、宇宙のような「人智を超えたもの」に対してどのような関係を築きたいか。

A1.──どこまでも無関心且つ寛容でありたいです。

 

……え、矛盾している?

確かに、字面の上では。

 

ただ、関心を寄せずとも吸い寄せられることはありますね。

意識せずとも、のほうが伝わり易いでしょうか。

 

あと、実際にあるモノに対して。

否定しても、虚しいだけですからねぇ。

 

あるモノはあるし。

ないモノはない……と言うのはある、と言うことくらいは。

 

認めたほうが望ましい。

と言うのが、わたしの信仰する宗教なんですよね(n=1ですが)←

 

Q2.──どのような哲学的な疑問に興味があるか。

A2.──証明不可能なモノについて、と言うことにします。

 

……この質問、ちょっと好きじゃないですね。

哲学をスピリチュアルのカテゴリに入れてるんですもの。

 

個人的に、哲学って人を救わないんです。

救われないための学問なんですよね。

 

一方、スピリチュアルなモノ。

語弊を恐れず申せば、宗教については。

 

その人が救われるべく存在するモノ。

だと、思っているのです。

 

なので、哲学と宗教って互いに相補的でありながら相対するモノであって。

N極とS極みたいにくっついたり、酸とアルカリのように中和するモノじゃないって思うのですが。

 

まぁそれは置いておいて。

……んー、哲学”的”ってことだからいいか←

 

そうですねぇ。

証明不可能なモノであれば。

 

疑問に思っても、解決することがないですし。

解決しないと言うことは、延々と楽しめますからね。

 

解けないパズルって、面白いじゃないですか。

間違って解けたら、間違いなんですから。

 

もう解けてしまうパズルって。

そのときまでは楽しいのですけども。

 

解けてしまったら、ただの解けるパズルなんですよね。

そう言うの、好きじゃないですし。

 

先に申した通り。

哲学は人を救わないと言うのがわたしの信条ですので。

 

できれば、解けてほしくないのです。

ずっと、考えさせてほしいのです。

 

そして、考えることによって。

生きるための理由に、したいのですよ。

 

よく、「死んでも〜したい」って聞きますが。

死んだら現時点とは条件が変わってしまうので。

 

生きている通り、したいモノであり続けるとは限りませんし。

死んだ後のことなんて、誰にも分からないので。

 

生きている間、どのように。

死ぬまで生きるか、なんてことを考えると。

 

哲学って、いいモノだなぁって思うのです。

どうでしょう?──わたしがどんな人か、だいぶ分かるようになってきたのではないでしょうか。