考え事と言うのは。
時と場合と場所を選びません。
周囲に漏らさないうちは。
何を考えても、思っても──感じたとしても。
自由、と言うのが。
日本国憲法第19条で、保障されております。
──ですが、このような自由権の行使が。
実際に自身の自由を保障するかどうかは、また別の話。
なぜなら、自由権の行使を行うことに依り。
他の自由が制限されることになるからです。
考え事をしている最中。
容量が持っていかれるように。
空いている壺に砂を敷き詰めたら。
他に入るモノと言えば水くらいのモノだったり、と。
なので、考え事の質量が大きくなればなるほど。
感知できず干渉されたときのダメージは著しく。
反動に依り、周囲に何か大きな衝撃を与える言動をしても。
致し方がない……んでしょうかねぇ?←
周囲にとってみれば、「知らんがな」ですからね。
それに、考え事を一旦脇に置いて別のことを選ぶことだってできるのですから。
自由権の行使に依り自由を制限されているような。
未熟者に周囲が配慮できることって、「その人を見守る」と言うことであり。
転じて、「放っておく」だったり。
状況次第では「見捨てる」と言うことになりかねないんですよね。
そして、考え事をしている主体がそれを。
周囲がなんと思っていようとも。
受け取り方が、下手だと。
「周囲を敵視する」だったり。
「周囲を無視する」だったり。
「ありがたいと思う」だったり、するわけです。
つまり、自由権の行使のために自身が選択できていることが肝要であり。
あくまで自身で自身の責任を取ることが必須であると相成りますね。
ところで、皆さんには──あなたには。
自由の行使のため、我が事のように行なっていること──何か、あるでしょうか。