蠱毒を呑む
孤独とは。
依存対象足り得るのでしょうか。
依存症が、孤独の病なれば。
さぁ、どうなることやら。
依存対象足り得るならば。
それは、プロセスと言うことになりそうですが。
回復の術って、なんなんでしょうね。
孤独にならないことが、依存症から回復するための鉄則にも拘らず。
孤独に依存している場合には。
そこから引き剥がす必要があるわけですよね。
どうやってでしょう。
医療に繋がることも嫌だと思いますから。
繋がっていたら、切りに行くんじゃないでしょうか。
福祉からも、どこからもです。
で、絶賛引き籠ると言う。
なんなら、ネット回線なんかも切るかもしれません。
それはなぜか。
孤独に依存しているから、と。
……繋がることができないので。
そもそも、ミーティングに参加すらもしない。
なので、回復する術がない。
となれば──即ち、死を意味するわけですが。
ですので、依存対象としては成立するかもしれませんけども。
実際に依存症と診断するのは現実的ではなく。
どちらかと言うと、境界例か。
統合失調症群──もしくは自閉症スペクトラムに分類され易いのかもなぁと。
そのほうが、治療し易いと言うのもそうなのですけども。
そんなことを、最近考えていました。
……え、なんでそんなこと考えたのかって?
わたし、孤独が大好きですもの。
いいじゃないですか、孤独。
誰もいない、なんて──すっごく。